沿革
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1943
創業時代
長野県長野市南千歳町728番地において、有限会社東亜機械製作所を設立。
軍事品の製造を開始する。資本金50円。ものづくりをしようじゃないか
当社の創業は1943(昭和18)年。第二次世界大戦のまっただ中、機械も物資も乏しいなか、戦時を勝ち抜くために欠かせない機械部品の製造メーカーとして産声をあげました。
その前史は、機械工作技術にたけた5人の男たちで発足した協業組合。自前の機械を持ち寄り、各人の腕を頼りに「世の中の役に立つものづくりをしようじゃないか」と、気概に満ちて事業をスタートさせました。
地域社会のインフラ、建築、さまざまな産業の製造設備など、世の中を進化させていく過程に欠かせない機械部品を企画・製造し、日本の進化の一翼を担っていこうとする“ものづくりの精神”が、すでにこの時点から事業の支えとなっていたのです。
戦争によって社会も仕事の環境も大きく変化する中、創業メンバーの5人はやがてそれぞれの道へと歩み始めます。うち2人が協業組合を継承し、有限会社東亜機械製作所を創業、これが現在の株式会社東亜の前身です。
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1945
製粉機メーカー時代
終戦により、東亜式製粉機の製造、販売を開始する。
全国展開の機械メーカーとして
終戦後、社会のニーズに応えるかたちで、最初に開発・製造したのは「東亜式製粉機」でした。実は、地粉うどんの製麺業を営む創業者の母に楽をさせたい思いで、以前からあたためていた開発でしたが、食料が十分とはいえない時代のこと、新開発の国産製粉機は大きな話題を呼び、日本中から注文を受けるようになりました。
「東亜式」の製粉機メーカーとして全国展開を進める一方、鉄プレス機の大手製造メーカー・手塚興産株式会社(現・株式会社テヅカ)の協力工場として油圧ポンプや切断機の製造に取り組み、対応できる技術の幅を広げていきます。 1962(昭和37)年に、現在の車輌事業部の前身となる車輌部門を設け、業務を拡張。
創業の地から移転し、新たなスタートを切ることとなりました。
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1962
業務拡張により、本社及び工場を長野市石渡に移転。
新明和工業(株)及び極東開発工業(株)の指定サービス工場となり、車両関連業務の営業を開始する。1969
1969東部営業所を営業開始する。
1973
不二越機械工業(株)の協力工場として、部品加工を開始。
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1980
地域の産業を支え続けて
日精樹脂工業(株)の協力工場として、部品加工を開始。
応えて生み出す“つくり手”の誇り
機械工作に関する幅広い技術を持つと同時に、油圧ポンプの製造や特装車両の整備・修理・ぎ装等、特殊な分野の技術対応まで可能な機械工作企業として、株式会社東亜は新明和工業株式会社をはじめ大小さまざまなメーカーの協力工場と位置づけられ、高度成長期の日本、そして長野県の産業を下支えする役割を担っていきます。
多くの企業が特化技術による生き残りを模索していく中、当社が選んだのは特化よりも、柔軟性と技術対応力で、お客様のどんなニーズにも応え得る“つくり手”となる道でした。
1981(昭和56)年、組織・社名を変更して株式会社東亜が発進。
油圧技術を応用した油圧式薪割機を開発したのをはじめ、使い手の目線を柔軟な発想と技術で具体的なかたちにできることを強みに、一歩一歩、堅実な歩みを進めました。
「選ばれる東亜」としての今
応えて生み出す“つくり手”の誇り
多くのお客様の成長や変化に刺激を受けながら、当社もまた進化を続けています。
時代の変化に伴い、取り扱う製品は半導体関連、医療機器関連、環境対応機器、特殊車両など多岐にわたり、技術の幅はますます広がり、設備も高速化、高生産率化に向け、充実の一途をたどっていますが、そこに常に息づいているのは、社会に役立つものをつくる信頼のおける“つくり手”として存在感のある仕事をしていきたいという創業当初の思いです。
株式会社東亜は、世の中が求めるものや、お客様のニーズをしっかりと受け止め、自ら考えてものをつくることができる技術者の集団です。多品種・小ロットの製品づくりに細やかに対応し、「国産」の品質、精度への高度なご要望に、確かなかたちで応えることのできる企業であることを誇りとしています。 -
1981
石渡新社屋ビルを落成。社名を有限会社東亜機械製作所より株式会社東亜に改称。
1986
油圧式薪割機の製造、販売を開始。
1997
門型マシニングセンター 東芝機械MPE-2140(5H) を導入する。
1998
大型CNC旋盤 大日金属工業M152*500を導入する。
2004
都市開発事業のため、事務所兼工場を長野市石渡から若穂綿内に移転。
2006
本社所在地を若穂綿内に正式に登記移転する。
2007
縦型マシニングセンター オークマMILLAC1052Vを導入する。
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2014
「創る」ことへのさらなる挑戦
同時5軸加工機 DMG MORI DMU50を導入する。
より深く、より確かに、ものづくりの本質へ
「国産」のこだわりをかたちにする過程で、当社が出会ったのが、ものづくりの伝統の地にして先進地でもあるドイツの考え方でした。
効率や生産性を重視しつつも、あくまでも品質の高さや精度の高さを最優先とする姿勢。それがみごとに反映された、使う人ありきのデザイン、機能性。
機械メーカーの企業トップから現場の技術者に至るまで徹底している職人気質的な実直さ。そこには、長い歴史の中で培ってきた「ものづくりの本質」が息づいています。
その考え方や意識に学びながら、当社はこれからも、お客様のニーズや課題に、一つ一つていねいに向き合いながら、その答えとなるものを「創る」ことに挑戦し続けていきます。